| 1961年 |
フリーランスのシュー・デザイナーとして独立
各シューズ・メーカーの顧問デザイナーとしての活動を開始 |
| 1967年 |
イタリア・パドヴァおよびスペイン・エルダなど、ヨーロッパ靴製造業界との技術提携のため、渡欧 |
| 1968年 |
ミニスカートの流行に合わせてロングフィットブーツを開発、日本市場における大ブームのきっかけとなる。 |
| 1970年 |
編上げロングブーツを開発、ロングブーツブームをさらに押し上げる引き金となり、その後ロンドンポップのストームブーツへとブームは拡大していく。
靴産業にファッションの概念を導入
日本靴総合研究会ゴールドグランプリ受賞 |
| 1971年 |
日本で初めての”Boots Show”を総合プロデュース |
| 1972年 |
コルクサンダルを開発、時代を象徴するファッションとして爆発的ヒット |
| 1973年 |
ファッションスニーカーを開発、スポーツシューズとファッションとの融合を図る。 |
| 1975年 |
カジュアル時代を先取りしてカジュアルパンプスを開発、“カジパン”の語源となるヒットを記録 |
| 1978年 |
ルーズライニング・スニーカーを開発し、世界的ヒット商品に育て上げる。 |
| 1980年 |
株式会社ミッツ・プランナー設立、 代表取締役に就任
オープン感覚のディスコシューズを開発、日本中のディスコで大フィーバーとなり、ファッションのカジュアル化の流れに大きな影響を与える。 |
| 1983年 |
従来の靴産業界の枠組みにとらわれないカテゴリー・クリエイターとして、総合商社との提携、インフォーメーション活動への果敢なアプローチなど、業界の将来を見据えた活動を展開 |
| 1992年 |
JASPA日本靴企画協会会長に就任 |
| 1993年 |
JASPA日本靴企画協会主催デザイン・コンクールを開催し、内外のデザイナー育成に尽力 |
| 1994年 |
東都製靴工業協同組合主催TOSGXのイベントとしてファッションショーをプロデュース |
| 1996年 |
ミッツ・プランナー/ファッション&MD研究所を設立
業界紙シューズポストにコラムの連載を開始
神戸資材連合会主催資材展にて「シューズファッショントレンドセミナー」を実施 |
| 1997年 |
東京モード学園など、ファッション系教育機関との取り組みに力を入れ、シューズMD講座を開講
株式会社エフワークス主催ISF&MOD’S展にて「ヨーロッパ主要見本市からみるシューズファッショントレンドセミナー」を開始 |
| 1999年 |
業界誌フットウエアプレスにファッショントレンドの連載を開始
株式会社エフワークス主催ISF & MOD’S展のヴィジュアルマーチャンダイジングブースをプロデュース
東都製靴工業協同組合主催TOSGXのイベントとしてマルチメディア映像を制作、トレンドブックを編集するなど、プロモーションを手掛ける |
| 2000年 |
兵庫県皮革産業協同組合連合会主催の「レザーバッグデザインコンテスト」を企画プロデュース
業界紙東京靴通信、レザーファッションに連載コラムを執筆開始 |
| 2002年 |
将来を見据えた新しい生産背景の確立の為、特恵関税国メーカーとの取り組みを開始 |
| 2003年 |
素材関連企業、メーカー、ホールセラー、インポーター、マーケット従事者など業界関係者を一堂に介し、業種の垣根を越えて幅広い意見交換の場として「JASPA異業種交流会」を開催
日本タンナーズ協会「皮革産業活性化に関するプロモーション」事業を総合プロデュース。
銀座三越にてベストレザーニスト賞授賞式&イベントを実施、ポスター制作においてはトップモデルである冨永愛を起用
繊研新聞紙面上にて「靴が語るビンテージスピリッツ」コラム連載を開始 |
| 2004年 |
前年に引き続き日本タンナーズ協会「皮革産業活性化に関するプロモーション」事業を総合プロデュース。六本木オリベホールにてベストレザーニスト賞授賞式&イベントを実施、ポスター制作においてはトップモデルである石川亜沙美を起用。
産学協同イベントとして学校法人モード学園と「レザーコンテスト」を実施し、皮革を用いた作品のみならず、広告、グラフィックにおけるPR活動を展開 |
| 2005年 |
繊研新聞紙面上にて「シューズファッションビジネスにおける提言」コラム連載を開始
繊維総合見本市「ジャパンクリエーション」において兵庫県皮革産業協同組合連合会のPRブースを企画、設計、運営 |
| 2006年 |
姫路市皮革産業活性化研究会のロゴマークをデザイン
前年に引き続き、繊維総合見本市「ジャパンクリエーション」において兵庫県皮革産業協同組合連合会のPRブースを企画、設計、運営
現在に至る |